【実体験】僕の肺が破れた日【肺気胸日記#1】

僕が初めて自然気胸になったのは、中学2年の夏でした。

バスケ部のアップの鬼ごっこで生き残ったと思った矢先、胸に違和感を感じたのです。

僕「なぁんか痛いんだけど」

腕をブンブン回しながら友達に言いました。

友「ふーん」

次にリレーをやることになって、友達は颯爽とトラックの方へ行ってしまいました。

冷たいなぁと思いながら後を追って、結局リレーの流れから抜け出せずやることに。

そんなときふとこう思ったのです。

    全力で走ったら治るな。

 これには根拠がありました。

それは外練の経験からで、僕はランニングすると大抵腹が痛くなります。でも止まってしまったら部員の集団から離れて走ることになるのでダサいし、顧問の目が恐怖なので、ただただ走り続けるのです。

すると、腹痛は消えます。その時も、この原理で治るだろうと僕は確信しました。

リレーという連帯意識も相まって、バトンを受け取った僕はこれでもかと全力で走りました。

衝撃の遅さ。

イメージは、宇宙空間で走っている人のような、水の中で走っているような、疾走感のなさ。

苦しい、痛い、動かない。

でもなんとか走り切ったのでリレーは続行。僕は呼吸困難。息ができないんです。似てるのは、跳び箱から背中から落ちたときの はぁうぅ!となるヤツ。

痛すぎてずっと胸に力を込めて耐えるしか術がなくおかげで息がうまく吸えず、吐くときには小刻みに、あ、あ、あ、あ と声が出ていました。千と千尋の神隠しカオナシを倍速にした感じで。

悪夢はまだまだ続きました。痛いから助けて、なんて痛すぎて言えないのでしゃがみこんだまま必死に息をつないでいたら、バスケの試合時間が迫っていたようで、部員みなさんぱっぱと体育館に移動し始めたのです。

このままではやばい、とそう直感しました。僕たちがリレーをしていたのはある学校の校庭のトラック、体育館までは十分距離がありました。

まずは、まずは呼吸を少しでも楽にしたい。

そう思った僕は近くのベンチまで、呼吸を止めて、胸を強く押さえ、腰をほんの少しだけ浮かせて、なるべく刺激のないように、しゃがんだまま歩いていきました。

ベンチを使って体制を変えよう。

まずは登ってみました。そのまま座って、背中をベンチにつけてみよう。だめです。背筋を伸ばすと、死んでしまいそうです。

しゃがんだ体制から背中を動かすことはできないと悟ったので、結局ベンチの前でしゃがんだまま痛みと戦うはめになりました。体育館まではおそらく10mくらいでした。

痛みはまるで引きません。それはおろか、意を決してベンチまで来たので、移動の分の痛みがさらに僕を襲いました。

全神経を呼吸に集中して、ちゃんと吸って、しっかり吐く。意識しないと、あっあっあっあっと息を吐き続ける機械になってしまいます。

そこに、救世主が現れたのです。

後輩でした。先生の車から、荷物を降ろして体育館に運ぶ最中でした。

後「だいじょぶすか(笑)」

やっと声をかけてもらえました。とっても、うれしかったですね。でも、ちょっと嬉しくなってふと楽になった気がして、

僕「だいじょうぶ(笑)」

と言ってしまいました。後輩たちはそのまま体育館に行ってしまいました。なにをしているんだ、痛みが僕に言いました。

カオナシの呼吸をしながら、僕は行くしかないと思いました。体育館まで行けば、きっと誰かが助けてくれる。

そのベンチからの10mをどうやって移動したかは覚えていません。立っていたのか、しゃがんだまま動いたのか、ただ僕は体育館の階段をほふく前進で登っていました。あっあっあっといいながら。

僕は、ほんとうにやっとの思いで体育館の玄関にたどり着いたのです。

玄関につくとさっき冷たくされた友達が偶然僕の前を通りました。僕は彼のふとももに平手うちをすると、

僕「ちょっと、先生よんできて」

友「あ、おう、わかった。」

それから、先生から親御さんたちに話がいき、僕の親が迎えにくることになりました。

親が来るまで、1時間、痛みは40分ほどで引きました。

母親が到着すると、車に乗り込み、病院へ行くことになりました。

そのあとの話は落ち着くので、今日はこの辺にしようと思います。

 

もし友だちが体の異変を訴えていたら、気にかけてあげてください。

僕は、そうします。

 

 

ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございます。

 

 

次回はちょっとはお役に立てることが書けると思います。

 

 

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